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「本物らしさ」とは何か、考えてみる


「本物らしさ」とは何か、考えてみる

クレイフラワーを作っていると、「本物みたい!」と言ってもらえることがあります。とても嬉しい言葉。でも、ふと手を止めて考えてしまうことがあるんです。——わたしは「本物と同じもの」を目指しているんだろうかと。


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リアルを目指しているけれど、コピーを作ろうとしているわけではない

花を作るとき、まず本物をよく観察します。花びらの反り方、重なり方、光が当たったときの透け感、色のグラデーション。「この花はどういう咲き方をするんだろう」と、じっくり見て、触れて、理解しようとします。

でも、それは「そのまま再現する」ためではないんです。

理解したうえで、自分なりにその花の持つ可憐さや空気感を表現したい——そのための観察。同じ風景でも、写真に撮ることと絵に描くことが違うように、クレイで花を作ることは、花を「写す」のではなく「表す」ことだと思っています。だから仕上がりは、本物と寸分違わず同じにはならないし、そうじゃなくていいとも思っている。


生花と作り物、どちらが「本物」か

「作り物の花は所詮偽物。生花にはかなわない」——そういう意見も気持ちはわかります。生きている花には、クレイや造花では絶対に出せないものがある。香り、みずみずしさ、時間とともに変わっていく姿。それはほんとうのことです。

でも、だからといって作り物の花の価値が下がるというわけではない。

好きな色、好きな咲き方、ベストな状態の美しさ、手でそっと触れられる繊細さ、空間に長く寄り添ってくれること。クレイフラワーにはクレイフラワーにしかない魅力がある。生花も造花も粘土も、紙の花もお砂糖の花も・・好きなものの魅力を伝えるのに、どちらかを下げる必要はない。それはお花に限らず、いろんなことに言えるような気もしています。


生きている花が好きだからこそ、作れる

わたしがクレイフラワーを作り続けているのは、生きている花が好きだからです。本物の花を見て、きれいだなあと思う気持ち、あの形を手元に残したいという気持ちが、根っこにある。

だからこそ、花をよく見るようになった。観察するほど、気づくことが増えた。あの花びらはこんなふうに先端が反っている、この品種は中心の色がこんなにも淡い——そういう発見がひとつひとつ、作品に積み重なっていくような感覚があります。

「本物らしさ」の正体は、技術だけじゃないとわたしは思っていて。花への眼差しや、好きという気持ちが、どこかに滲み出るんじゃないかな、と。うまく言葉にするのは難しいけれど、そんなふうに感じています。


「本物と同じ」じゃなくていい。「本物から感じた何か」を、自分なりの形にできたとき——その花はきっと、本物らしくなる。

今はそんなふうに考えています。

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